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BLM運動と黒人差別について(在校生インタビュー #4)

ジョージフロイドが警官の暴行により死亡した事件を受け、アメリカでBlack Lives Matter(以下BLM)運動が盛んになっています。実際ウォートンのあるフィラデルフィアでも暴動が起き、外出禁止令が出される事態となりました。黒人が国民の13%を占める国における人種(黒人)差別。この問題についての日本語での資料、特に当事者目線でのものが少ないという問題意識から、クラスメートへのインタビューを通じて生の声を日本語で届けようと今回の記事を企画しました。在校生を紹介する記事の第4回目でもあります。

  • 今日はインタビューを受けてくれてありがとう。まずは簡単に自己紹介してもらえるかな?

僕の名前はCam Maple。アメリカのいろいろな場所で過ごしてきたんだけど、元々はパセデナ(Pasadena)というロサンゼルスの都市で育って、その後いろいろな都市を転々として、小学校5年生の時にフィラデルフィアの郊外に引っ越してきた。

学部ではプリンストン大学で公共政策を専攻し、人種と差別、原発の将来、ヘルスケア、その他の公共政策について勉強していた。プリンストンでは多くの学業以外の活動もしていて、大学内外での人種差別問題に対して学内で抗議活動をするというのもその一つだった。

大学卒業後はFacebookに就職し、ブラントパートナーシップの部署で働いた。4年間Facebookで働いた後キャリアチェンジのためにWhartonにきた。ビジネススクールに行くことが常に僕の目標の一つだったからね。

  • ありがとう。早速だけど、なんで最近BLM運動がアメリカでこれほどまでに広がっているんだろう?

この問題は深い問題で、一人の人が答えられるようなものではないが、僕はこれまで黒人差別について勉強してきたので、それを基に答えたいと思う。

そもそも、アメリカにおいて「人種」とは何百年もの黒人差別の歴史にほかならない。

一つ覚えておくべきなのは、アメリカにおいて「人種」という言葉が差別のために社会的に作られたものであるということだ。これまでアメリカにおいて「人種の違い」という概念は、生物的な違いに基づいた考えではなく、差別や奴隷制度を正当化されるための手段であったと言える。奴隷制度はアメリカが資本主義社会において成長する上で大きな役割を果たしてきた。1619年に初めての奴隷がアメリカに連れてこられたとされているが、1500年代にはアメリカに奴隷として連れてこられたアフリカ人がいたとも言われている。1860年代に制度上は奴隷制度が廃止されたが、それ以後も様々な方法で事実上奴隷制度が続き、人種差別が行われてきた。

最近のBLM運動を理解するためにはこれらの歴史について理解することが欠かせない。BLM運動は実は2013年に始まった比較的新しい運動だ。近代の市民権運動とも呼ばれるこれらの活動は新たな黒人の自由解放運動といえる。BLM運動の歴史自体は浅いが、実際はアメリカ建国から続く長い黒人をめぐる対話の一部に過ぎない。

もう一つ見逃してはならないことは警察組織による黒人への残虐行為だ。知らない人もいるかもしれないが、アメリカの警察組織はコミュニティの夜警団や奴隷の逃走を防ぐための組織を起源としている。これらの組織が税金で運営されるようになり、今我々が目にする警察となっている。その組織が黒人の投票権を奪ったり、場合によっては黒人を殺害することもあった。

  • なるほど。今年起きているBLM運動というのは今まで歴史的に起こってきた運動と何か違いはあるのだろうか。

このような運動は黒人だけではなくて黒人以外のアライ*も含めて永遠とも思えるような長い間行われてきた。ただ今回の運動はこれまで以上に広範囲にわたるもので、多くの人が警察の残虐行為に対して反対していることが特徴だ。ただし、このように幅広いサポートがあり、警察の残忍性に対しての声が上がってはいるものの、アメリカの人種差別の概要についての理解はまだ足りないと思っている。警察だけではなく本質的には全ての組織が精査され見直される必要があるんだ。これまでアメリカで作られてきた組織は黒人が白人に劣るという考え方を持った人によって作られたものだし、そのような考え方が黒人投票権の剥奪や差別主義につながってきた。

* アライ(Ally) – 差別解消に当たって共に協力する人たち。日本では「LGBTアライ」という意味でも使われる。

現在のBLM運動が国家的に活発になったきっかけについても触れておきたい。知ってると思うけど最近の運動はジョージ・フロイドが警察官によって7分46秒もの間首を膝で押さえつけられた後に死亡したことに端を発した。

黒人たちはこれまでも警察の暴力や警察が周りにいることで感じる不安、しばしば黒人が警察官によって殺されることについて抗議してきた。実際アメリカでは黒人というだけで他の人種であれば呼び止められもしないであろうことで職務質問を受けるし、ときにはジョージ・フロイドのようなことも起こる。同レベルの犯罪で警官に呼び止められた際、黒人男性の方が白人男性よりも警官に殺される確率が3.2-3.5倍高いとした研究もある。

ジョージ・フロイドの件でいえば、彼は偽装紙幣の使用を疑った店主によって警官が呼ばれて暴行を受けたが、公表されているビデオからは彼が常時警官に協力的だったように見える。僕の個人的な考えでは、他の無実の黒人が殺されてきた事象はこれまでにも多々あったし、黒人はみんなそのことを認識しているが、今回の事件はそれがビデオによって公になったことで問題が明らかになり、特に白人にとってショックな出来事だった。そしてそれが引き金となって今回の動きを生み出しているのだと思う。ただし全国民がこの運動に賛同しているわけではないことも事実で、実際SNSでも首を膝で押さえつける振りをして揶揄をし、警官の行動を正当だと主張する動画が挙げられたりしている。これは難しい問題だし、まだ全員の賛同を受けられているわけではないということは考えるべき重要なことだ。

また団結をする際は行動が伴わなければいけないということも伝えたい。現在前例のない団結が生まれているが、ただ団結することに満足せずに実際に変化を生み出すために動いてもらいたい。

  • 行動として最近は銅像の撤去や学校名の変更などが行われている。これについてはどう思う?

まず国民的感情から考えてみよう。人種差別は間違いで、警官による暴力もやりすぎだ、という方向性で世論は動いている。それを受けてこれまで差別によったシステムを採用していた組織や機関が名前の変更などに動いていることは確かだが、まだそれ以上の動きにつながっているとは言い難い。

僕個人の考えとしては、もしこの動きが加速していかないのであればこれまでの動きも各組織の広報活動の一部に過ぎないと思う。これまでの動きは問題の根本的な解決には程遠いし焼け石に水だ。本当に意味のある改革を行わず、自己の罪悪感を和らげるための声明をしたに過ぎないかもしれない。このような銅像の撤去などの決定は改革のための第一歩であるのかもしれないが、これ自体に黒人の経験が実際に変わるような意義があるとは思っていない。むしろこれらが世論の批判を避けるための広報活動の一環として行われているのではないかと危惧している。

  • これまではニュースで出ているような事項について聞いてきたけど、もう少し個人的な質問をしてもいいかな。

もちろん

  • Camは大学でも黒人差別に関する運動をしていたと聞いたけどこれについてもう少し詳しく教えてもらえるかな?

まずこれはとても複雑な問題だということに触れておきたい。数多くの米国組織が現時点で存在する黒人差別を守るためにできている。この問題に取り組む上で僕にとって最初のステップは自分を教育することだった。ハリウッド映画や音楽は影響力を持つが必ずしも現実を反映しているとは限らない。だから自分を教育するために黒人にまつわる事実について調べるということが第一歩だった。そしてそれ以降は自分が関わってきた組織、環境において人種差別を減らす行動を起こしてきた。大学では活動家として校内の様々なデモを主導してきたし黒人学生の生活改善のために設立されたいくつかの組織にも参画していた。学校の理事に対して黒人にとってより包摂的な環境になるように働きかけたり、下級生の黒人学生のメンターになったりしてきた。

Facebookに就職してまず最初に行ったのは「Level up」(今はElevateと呼ばれている)というプログラムの設立だった。Facebookで働く中でマイノリティーのビジネスオーナーを助けることに大きな機会を感じていた。そこで他の優秀な同僚たちとともに、彼らビジネスオーナーに広告についてのトレーニングをすることにしたんだ。会社から資金をもらい、彼らにFacebookやインスタグラムを利用して事業を拡大させるトレーニングを行った。僕にとって資本というものの大切さについて思い知らされる出来事だったし、マイノリティ、特に黒人の事業をサポートすることは彼らが自由になるための第一歩だと強く信じている。業務外の時間もこの活動に多くの時間を捧げてきたし、現在このプログラムは数千のスモールビジネスをサポートしてブランド構築に一役買っている。

Whartonに入ってからもこの問題をどのように広め、変えてくるかについて常に考えてきた。たくさんのクラスメートと個人的に話をしてきたし、このインタビューのような機会が増えていくことを望んでいる。また、将来的に世界を引っ張るであろうクラスメートがこの問題を真剣に捉えることが、社会を変えるために役立つと信じてる。

  • プリンストンとWhartonで違いはあるだろうか?

プリンストンでは「Race is Socially Constructed: Now What? (Prof. Ruha Benjamin) 」という授業を受けた。彼女はTED talkをしたり、を出版したりしているのでも是非観て(読んで)欲しい。この授業のなかで彼女は人種差別のある組織をリンゴ果樹園に例えたんだ。ちなみに日本のリンゴ園がどのくらいの大きさかわからないけどアメリカの果樹園はとても大きいんだ(笑)。アイデアは、果樹園はリンゴがなくても存在しうるというものだ。同様に人種差別が組織そのもに根付いていて、それは人種差別主義者の存在にかかわらず成立していることがある。差別主義者を減らすことのみならず、システムそのものを変えることにも注力するべきだという主張だ。

プリンストン大学もペンシルベニア大学も歴史ある大学だし、黒人が白人と同等と見なされていなかった時代に設立されている。だから平等性の欠如と言うものが刻み込まれていると思うし、システムとしてその根本を変える必要があると思う。もちろん細かい差はあるし、平均年齢の違いもあるから今のクラスメートの方がより大人だけどね。

  • 差別問題はアメリカの抱える一つの大きな問題だと思う。Whartonの必修授業ではこの問題が扱われてこなかったけど、アメリカ国外からきた学生も多くいる訳だし、アメリカの歴史を取り上げて議論するクラスが一つはあってもいいと思うな。

本当にその通りだと思う。まさに学校に是非変えて欲しい部分の一つだ。必修授業は学校として何をビジネスリーダーが持つべき素養と考えているのかを表していると思う。金融、マーケティング、法律などは教えるべき大切な要素だとは思うけど、ダイバーシティを重んじ、海外からの学生も多く受け入れる学校としては人種差別について学ぶことも大切だと思うよ。もしそのような機会があれば、いつか人種差別問題を学んだWharton生が世界各地で社会を引っ張る存在となり、社会を変えられるかもしれないよね。

  • 個人的な話についても聞いていいかな?アメリカで生まれ育つ中でどのように差別というものがCamや周りの人に影響を及ぼしたのか。

まず注意しておきたいのは、個人的な話というものはトラウマ体験として残っていることが多いから、こういう質問をする際には細心の注意を払って欲しい。

また、この問題の影響はその人の環境によって異なる。例えば移民一世かどうかや、アフリカ系か、カリブ海系か。僕の家族の場合は数世代にわたってアメリカに住んできた。

母親父親双方の家系での例を話そうと思う。僕の母親はテネシー州のオークリッジという小さい街で育った。この街はマンハッタン計画の前哨基地でもあった。1960年代に有数の科学者が次々とやってきて原爆開発に勤しんだ。当時は放射性廃棄物の処理のプロトコルなど存在していなかった。だから、これは実際に文書として残っている事実なんだけど、放射性廃棄物を生活用水の供給源に捨てたんだ。その生活用水は黒人によって広く利用されるものだった。母親によれば、汚染された水のせいで生まれた3つ頭のおたまじゃくしを見たりしたらしい。そしてその周辺に住む黒人は今でも後遺症に苦しんでいる。神経系の病気や高い癌罹患率などだ。このような国家計画による多大な影響について考えてみて欲しい。

父方の家系の話もある。僕の義理の曽祖父はテネシー州の小さな街でレストランが併設された雑貨店を経営していた。1970年の12月、遠くない昔だよね、に彼は頭を撃ち抜かれて死んでいるのが見つかった。彼の店は焼失していた。警察は人種差別とは関係ないとして処理したが、彼は黒人選挙権の活動家でもあった。1940年代から1960年代にかけて黒人の選挙権獲得に向けて活動していた。だから我々やそのことを知る人は白人ナショナリストグループによって殺害されたのではないかと信じている。

これらが2つの大きな問題だけど、これ以外にも例えば僕の父親は警察から嫌がらせを受けてきたし、僕自身も黒人だということで例えば店の中でいわれのない差別を受けたりしてきた。そのような経験がどんどん積み重って、僕自身も差別を受け入れながら生きていくことを学んだんだ。黒人だということで知能に疑問を持たれたり、目の前で差別的な言葉を投げかけられたり、差別的なことをいう教授や同僚もいた。アメリカで過ごす黒人の全てが何らかの形で差別を経験している。

これまでの経験から他人にどのように見られているかについて常に考えながら生きなければいけないということを学んできた。僕が黒人であったことで初めて差別を受けたのは6歳の時だった。僕は店でCDを手に取って母親のところに歩いて行ったんだ。それを見た母親は「何を持ってるの、そんなCD買わないわよ。元の場所に返しなさい」と言って僕にCDを戻させた。よくある親子の会話だよね。その後祖父母の家に帰ると母親が僕を風呂場に連れて行き、突然泣き出したんだ。母によれば、その店にいた白人女性が、僕がCDを盗もうとしていると責め立てたというんだ。小学生にもなっていない子供なのに。肌の色が違うというそれだけの理由で、僕らは脅威とみなされ、犯罪を犯すと思われるんだ。僕の母親はその事実を6歳の僕に教えようとしていた。6歳の子供にそんな話をすること自体悲しいことだが、アメリカで暮らす黒人は幼少期から皆似たような経験をしている。それ以降僕は店の中ではポケットに手を入れないように気をつけ、何かを盗んでいるように疑われないようにし、フードなどはかぶらないようにしている。これらは周りからの差別的な言動を受けて自然に身についた習慣だ。

  • この記事を読んでいるMBAを目指して将来社会のリーダーになるであろう人たちへ何かメッセージはある?

この問題について議論をし、学ぶことが大事だ。僕自身アメリカで暮らし、学術記事から学んでいるが、この問題は根深いし、日々刻々と変化するものでもある。差別記事などをもとに自分に問いかけ、深掘りしてみて欲しい。また、我々も日々差別の解消に向けて活動をしているが、それにも限界はある。より大きな力で動かしていくためにはアライの協力は必要不可欠だ。今回のような日本人による日本語でのインタビュー記事執筆は、我々だけでは伝えることのできない読者へメッセージを伝えることができるということで大きな意味があると思うよ。

これらの運動を実際の変化につなげていくことも大切だ。黒人たちは今までも変化を求めて運動してきたが、人々は、「それほど大きな問題ではない」「我々は改善している」「作り話だ」などと言って真剣に取り合ってこなかった、その結果みんな疲弊している。黒人でないアライの人々も声を上げることが実際の変化をもたらす上で重要な助けになると思う。

またこの問題は黒人だけでなく全員にとって公正な社会を作るという流れの一つだ。この社会は集合知や構成員の共同作業によって成り立っているわけだから、社会の全員が公平に扱われるようなものにしなければならない。

  • BLM運動について学ぶ上でどこから始めたらいいだろう?

まずは歴史的背景を学ぶのがいいと思う。どのようにアメリカが建国されて人種というものがアメリカ社会に影響を及ぼしてきたか。決定版のような本はないけれども。僕も今回の問題を受けてまとめている資料(READ, LISTEN & WATCH to SEEK DEEPER UNDERSTANDINGと書かれている部分)もある。まだ始めたばかりだけどね。Stamped from the Beginningという本もアメリカの人種の歴史について網羅しているからおすすめだ。その他にもあらゆる書籍や記事はあるから自分に合うものを見つけて読むといいと思うよ。

  • 最後に読者に向けて何か伝えたいことはある?

アメリカでの議論の中心は、黒人男性が警官に殺されたということに向けられている。Kimberlé Crenshaw教授が「インターセクショナリティ」という言葉で示したように、黒人の自由化について話す時は全ての黒人に目を向けることが重要だ。みんなにこのことについて考えて欲しい。例えばBreonna Taylorという女性がいて。彼女は睡眠中に警官に殺されている。ジョージ・フロイドの事件に比べて彼女についての議論はとても少ない。議論の多さの競争をするわけではないが、黒人女性も殺されているということ、黒人は性別によらず皆差別を受けているということを認識し、全ての人に平等に目を向けることが必要だと思う。

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いかがだったでしょうか。BLM運動というものが一過性の運動ではないこと、そしてアメリカという国で人種差別が長く根強く残っていることを受け止めていただけたのではないかと思います。BLM運動が盛んになったことをきっかけに私も黒人差別について勉強しはじめました。黒人差別についてまとめたHBSケース(英語)は歴史と共に様々な角度からの問題点がまとめられて理解に役立ちましたので、どこから始めたらいいか迷った方にははじめに読むものとしてお勧めします。

今回のインタビュー相手は私と同じコホート(必修授業を一緒に受ける約70名のクラス)のクラスメートです。これまでは少し会話をする程度でしたが、今回の企画を伝えたところ快く引き受けてくれ、インタビューから内容のレビューまで多くの時間を使ってもらいました。私自身は入学から1年が経過し残り1年のMBA生活となりますが、残りの1年はこのようにクラスメートと深く関わる機会を増やして行きたいと思っています。

Whartonに限らず、MBAを取られた方々と話すと、MBAでの一番の経験はクラスメートとの交流であるといわれる方が非常に多いことに気がつきます。その源泉は国籍や人種、仕事内外での経験などの多様性であると信じていますし、興味があれば是非海外のMBAを検討していただければ、そして願わくばWhartonも候補の一つに入れてもらえればと思っています。

在校生インタビュー #3 ~Neil Wali~

今回は、同級生インタビューシリーズ第三弾をWharton MBA Class of 2021のMinopuが担当させて頂きました。今回のインタビューはReal Estate Clubで一緒に活動をしている、弁護士出身のNeil Waliです。学生時代に起業の経験もあり、昔から“ビジネス“に興味がありつつも、家族の勧めや手に職をつけるため弁護士の道へ進んだ彼。しかしながら、輝かしいキャリアからあえてリスクを取って、MBAへ来ることを決めました。 学生時代の経験、弁護士になるまでの道のり、弁護士時代の経験、Whartonでの活動について、話を聞きました。

※尚、この記事は実施したインタビューの内容を基に執筆したものです。従って、記載内容はWharton SchoolやWharton Japan Clubの公式見解を示すものではなく、あくまで質問者、回答者の個人的見解である点、ご留意ください。また、インタビューは英語で実施していますが、同級生同士の会話を日本語で再現するためにフランクな表現を使っております。

― Neil、今日は忙しいのに時間を取ってくれてありがとう。まずは、生い立ちから話してくれる? 

もちろん。両親がインドからの移民で、CaliforniaのOrange Countyで生まれ育ち、第一世代としてUSC(University of Southern California)のCommunication MajorでEntertainment、Filmingを勉強した。大学入学してすぐにIMHQ(Internet Music Head Quarters)という会社を起業した。卒業してからも続けていたのだが、卒業1年後に家族からの勧めもあって、会社を畳んで、Duke UniversityのLaw School(JD)に進学した。Law School卒業後は、ニューヨークでSkaddenで弁護士を4年間経験し、Wharton MBAにきた。 

 大学卒業後に起業したんだね。どんな会社だったの? 

学生時代に、Entertainmentを勉強していたこともあって、音楽関係で何かビジネスをできないかと思って模索していた時に、有名アーティストの曲でもアルバムに収録されていない曲がブログ、SNS等のインターネット上たくさんあることに気づいて、これをオンラインデータベースで管理したら面白いんじゃないかなと思って会社を立ち上げてみた。 

 起業して1年後にLaw Schoolに進学することになったけど、どういう経緯だったの? 

一族が全員医者(両親、兄弟だけでなく叔父叔母も)だったこともあって、そもそも医学部に行ってほしいという家族の思いがあったのは事実。学部時代に医学部に行かないと決めたときから、家族からは何か手に職をつけてほしいということで、Law Schoolに行くことを決めた。これは、インド出身の人に多い、専門職重視の文化的な背景によるものだ。 

 ただでさえきついのに、当初は自分から行きたいと思っていなかったLaw Schoolは大変だったでしょう。 

冗談抜きで、大変だった。頭が良い人に囲まれて、正直最初の1週間で学費を取り返して帰りたいと思った。だけど、勉強が進むにつれ、いかに実用的で深い学問かと実感することもできたし、多くの友人にも恵まれて、スペインでの交換留学もでき、かつ初めてSouthern  California / 親元を離れた生活だったこともあって本当に充実した3年間だった。 

 弁護士としての生活はどうだった? 

アカデミックと実務でこんなに考え方や、進め方が違うのかとギャップに驚かされた。実際の授業では2,3分でさらっと解説される出来事を理解するのに実際は数日かかることもあって、最初は戸惑ったこともあったけど、Learning Curveがきつく、自分が成長していることを実感できた。ただ、3年経ったあたりから、もう一度リスクを取って何か別のことに挑戦したいと思い、MBAに応募した。 

 ドラマのSuitsの題材となるようなNew Yorkバリバリの弁護士だったから、機会費用も多いと思うけど、どうしてMBAに行こうと思ったの? 

起業したことからもわかる通り、昔からビジネスそのものには強い興味があった。“ビジネス”という漠然とはしているけど、この領域で成功を勝ち取りたいと思っていた。家族に医者が多く、ビジネスに明るくないのを横で見ていたから、自分はこの領域では強みを持ちたいなと思ったことも要因だと思う。だから、DukeでもJD MBA(Law SchoolとMBAのダブルディグリー)を検討した。だけど、法律もビジネスもどちらも中途半端な修得になってしまうと感じたし、自分のネットワークを最大限広げられるとは思えなかったのでJDのみにした。 

Skaddenで弁護士をしながら、MBAを検討し始めたときに、Skaddenで自分と同じく弁護士からWharton MBAを取りに行った人何人かに話を聞いた。話を聞く中で“MBAに行くということは給与も含めると$1 millionの機会費用が発生することだ”といわれた。数字を聞いたときは、戸惑った。しかし、トップMBAに行くことで金銭面だけでは語れない、何にも代えがたい経験が得られると言われ、決心することができた。そして、今まさに実感している。 

 実際にMBAに来てみてどう感じている? 

まず一番に伝えたいのは、自分のやりたいこと何にでもチャレンジしてもよい、というマインドセットを身につけられたのが大きい。Whartonに入学してすぐに、自分がチャレンジしたいと思ったら応援してくれる土壌があることに気づき、感謝している。 

それから、Whartonのブランドを通じたネットワークも素晴らしい。Real Estate ClubのNew York Trek(New Yorkの不動産会社を訪問するTrek)を企画した際に、普段であれば接することが難しいHigh ProfileのWharton のAlumniではもちろんのこと、WhartonのAlumniでなくても、快く面談をセッティングしてくれた時には、Whartonブランドの強さを実感した。 

 本当にリスクフリーで色々なことにチャレンジさせてくれる機会を提供してくれていると実感するよ。そういえば、Charity Showでオリジナルデザインのグッズを作っていたよね?どういうプロジェクトだったのか教えてくれる? 

まさに今着ているのはプロトタイプのトレーナーだよ。笑 

(プロトタイプを見せてくれるNeil) 

入学してすぐにBookstoreでWharton グッズを見ていた時に、正直、値段高いしデザインがダサいなと感じたんだよね。だけど、愛校心はあるから買いたい、という複雑な気持ちになった。その時にCharity Showの開催者として、オリジナルデザインのWhartonグッズを作ろうと思い立った。(今年は残念ながらCOVIDのせいで中止になってしまった)チャリティファッションショーの開催者として、この新しいデザインのWhartonグッズを試したいと思うようになった。50セット限定でチャリティファッションショーのチケットとセットで販売したところ、トレーナーは完売したし、評判も上々だった。 

 どうやってトレーナー作ったの?誰かとコラボしたの? 

今回は、地場のメーカーや縫製をサポートしてくれる人と協働して作った。プロジェクトマネジメントの経験も積めていい経験になった。来年はRetail ClubのCo-Presidentにもなるので、ファッションショーを何とか実現したい。 

 卒業後の進路はどう考えているの? 

インターンが残念ながらキャンセルになってしまったのだけれども、自分の立てた仮説を試しながら、卒業後の進路を見極めたい。不動産は強く興味を持っていて、本業でも副業でも何らかの形で関わっていきたいなと思っているけど、まだ模索している。 

 本当に長い間、インタビューに付き合ってくれてありがとう。 

Applicantから何か質問があれば、遠慮なくつないでくれ。Happy to chat!


終わりに

今回のNeilとのインタビューを通じて、印象に残っているのは“自分のやりたいこと何にでもチャレンジしてもよい”というマインドセットをMBAが提供してくれた、という言葉でした。私も過去1年の振り返りをする中で、何を学び、何を培ったかを振り返ると、“何事にも興味を持ち、挑戦し、その挑戦を応援してくれるWhartonというコミュニティ”だったなと感じます。目に見えない資産をMBAがもたらしてくれていることに、感謝する日々です。  

在校生インタビュー #2 ~Rita Zhang~

Wharton MBA Class of 2021のYと申します。前回多くの方に在校生インタビュー記事をご覧いただきましたので、二回目のインタビューを実施しました。前回はコンサルティング会社出身の学生でしたが、今回は起業家です。

私のCohortメート、Rita Zhangは中国で起業した経験があり、会社を経営する中で限界を感じMBAで学ぶことを決めました。起業の経緯、Whartonでの学び、そして卒業後のプランについて、じっくり話を聞きました。

※尚、この記事は実施したインタビューの内容を基に執筆したものです。従って、記載内容はWharton SchoolやWharton Japan Clubの公式見解を示すものではなく、あくまで質問者、回答者の個人的見解である点、ご留意ください。また、インタビューは英語で実施していますが、同級生同士の会話を日本語で再現するためにフランクな表現を使っております。

バックグラウンド

― 今日は時間を取ってくれて有難う。まずは生い立ちから教えてくれる?

「中国出身。上海から車で2時間程の张家港という地方都市で生まれた。15歳までこの都市で育ったが、海外への憧れがずっとあった。16歳の時に交換留学のチャンスがあった。試験を通過した一握りの学生しか行けないプログラムだったが、勉強をして米国のミネソタ州に留学する権利を勝ち取った」

― ご両親から遠く離れての1年間、それもミネソタ州(米国北中部に位置する州で、人口における白人の割合が80%程度)。大変だったんじゃない?

「最初はとても大変だった。交換留学プログラムの運営側は現地に慣れさせるために学生に親に連絡させなかった。文化・言語に馴染めず、毎晩深夜2時まで泣いていた。高校で友達を作るのも難しかった。同級生は幼稚園からの幼馴染という間柄の人ばかりで、アジア人で英語も上手に喋れない私が突然輪に入れる訳もない」

― どのようにして精神状態を保ったの?

「留学生同士の交流に助けられた。皆私と同じような境遇にいて孤独だった。1~2週間に1度集まって色々な話をした。ホストファミリーはいい人達だったが、仕事等他にやらねばならぬことがある。お互い心を開いて全てを話すという間柄にはなれなかった」

― 状況はやがて好転していった?

「やがて学校で友達ができて、最初よりはよくなったけど、帰属意識が芽生えることはなかった。だから、多様性の高いカリフォルニアで、包容力のあるリベラルアーツ系の大学に行きたいと思った」

― 交換留学で大変な思いをしたのに大学でも留学志望か。中国で勉強しようとは思わなかったの?

「全く考えなかった。理由は2つある。1つは入試が大変である点。難関大学の入試を通過する為には多くの暗記を要するが、将来使わないであろう知識を詰め込むことに意義を感じなかった。ただ、当時の私の成績はとてもよく、高校入学試験の成績は約6,000人中5位だったので、勉強をすれば難関大学にも行けたと思う」

― その成績はすごい。

「もう1つの理由は、中国の大学での学習に価値を見出せなかったこと。多くの学生が受験で燃え尽きて、大学で遊んで時間を無駄にしてしまう」

― 日本でもそうだな。入試が大変だから、燃え尽きて遊んでしまう大学生が多いよ。

「とても残念なことだと思う。大学は、情熱をもって、将来の夢に向けて勉強するところなのだから」

― (自分の過去を大反省しつつ)その通りだね。因みにご両親から海外留学については反対意見はなかった?

「両親はとても協力的だった。実は両親は私をミネソタに送った直後とても後悔していた。私が苦しんでいたのを知っていたから。でも私は『これが私の選んだ道だ』と両親を説得して納得してもらった。なので、大学進学についても私の信じる道を応援してくれた」

― 素晴らしいご両親だね。そして念願叶ってカリフォルニアの大学に進学した。

「希望通り、リベラルアーツ系のPomona Collegeに進学することが出来た。ところが、半年経ったところで家庭の事情で中国に戻らなければならなくなり、休学した。ただ、その時に友人と共にビジネスを始めることとなった」

起業

― 何がきっかけで、どのようなビジネスを始めたの?

「地元で、海外での大学進学を志す高校生へのアドバイスを始めた。きっかけは、当時Harvardの大学院に通っていた友人が声をかけてきたこと。彼女は当時知人の子どもの受験プロセスを手伝っていて、私にも声がかかった。口コミが拡がり、ビジネスに展開できると思ったので友人と起業した。サービスの内容は、英語のReading・Writingの指導や、出願プロセス全体のアドバイス、自己認識を高めて目標を定めるカウンセリングサービス等」
― ちょっと待って、当時休学中だったんだよね?起業した後、学業を再開したの?

「実は大学には戻っていない。家庭の事情と、ビジネスの拡大を理由に中国に残ることを選択した。代わりに、通信教育を受けて中国の大卒の学位を1年半で取得した。全く典型的な学生生活じゃなかったから、ビジネススクール受験の時説明するのが大変だったよ(笑)」

― 通信教育を受けながら、友人と2人でビジネスを始めたんだね。

「実は共同創業者は起業から僅か1ヶ月半で離脱してしまった」

― え・・・。なぜ?

「Harvardの大学院に通っていた彼女は起業志向があったんだけど、実際のビジネスの経験が彼女の求めていたものとは違ったみたい。それで、Harvardに戻って学業とビジネスを両立しようと思っていたけど、結局時間的制約と時差の問題で手を引くことになった」

― 波乱万丈の船出だね。

「そう。だから学生の募集、カウンセラーの採用、そしてアドバイスの全てを自分でやらねばならず、本当に大変だった」

― 当時20歳ぐらいだよね?20歳でそういった業務を全てこなすのは想像を絶するよ。あと、面白いと思ったのはカウンセリングサービス。相手が高校生とはいえ、20歳がカウンセリングをするというのは並大抵のことではないと思うけど。

「実はカウンセリングを自分でやっていたわけではなく、米国で心理学を学んだ人を採用してカウンセリングを担当してもらった。でも、カウンセリングを高校生にやるべきだと考えたのは私。日本から来るMBA生もそうだと思うけど、中国から留学する若者は、文化・言語の問題で最初必ず苦労する。苦しんだときに『なぜ自分が今ここにいるのか』が分からないと苦境を乗り越える力が生まれない。それ故、海外留学をする前に自己認識と将来の目標を定めることがとても大事だと考えた。」

― カウンセリングのフォーマットは?

「4人のカウンセラーに対して18人の学生を集めて、1週間の集中講座を実施した。カウンセリングサービスは、競合にはない差別化要素であり、1週間の集中講座は画期的だと考えていた」

ー ビジネスモデルについてもう少し教えてもらえる?

「自分が持っている海外に留学した学生や卒業生のネットワークと彼ら/彼女らのリソースを、サービスを必要としている地方都市の学生とその両親に届けるというコンセプト。マッチングプラットフォームと言えば分かりやすいか。最初は地元で始めたが、サービス地域を北に拡大していった」

― Ritaが書いたLinkedInの記事を読んだんだけど、その中で「顧客が求めていないカウンセリングサービスを提供していることに気付かなかった」といった記述があったね。

「そう。『顧客が求めるサービス』と『私たちが提供したいサービス』を一致させることが如何に難しいか実感する日々だった。学生の両親は名だたるトップスクールに子どもを送り込むことだけを考えていた。でも、能力やフィットの問題があるから、全員が名門校に行って幸せになるとは限らない」

― その通りだね。フィットはビジネススクール選びにおいても重要だ。

「だから、時に私は両親に対して、『ご子息に合う学校は名門校ではない』と説得しなければならなかった。でも、両親は子どもの名門校に行ける可能性を信じたい。私と方針が合わないと思ったらすぐに競合をを利用した。また、カウンセリングサービスなど不要だと思っている両親が多かった。私は競合のサービスがいいとは思わなかったけど、競合は両親が求めているサービスを提供していたんだよね」

― 悩ましい問題だね。

「やがて、どういったサービスを提供すべきか、どのように会社を経営すればよいのか、どのように従業員を管理すべきか、といった疑問を持ち、沢山勉強した。そして、自分のビジネスが大きく拡大する可能性がないことを確信し、2年ほど経ったところで会社を売却することに決めた」

― 大きな決断だね。その時点で会社はどのような規模になっていたの?

「顧客である学生数は約80名。別途、オンラインで3,000~4,000人にワークショップを実施していた。ただし、多くの学生のアドバイスをするには採用を増やさなければならなかったので指数関数的な拡大は難しかった。また、業界を見てみると超巨大なプレーヤーが圧倒的な地位を占めており、私の会社は泡沫プレーヤーに過ぎなかった」

MBA出願

― 会社売却と同時にMBA留学を決めたんだね。

「そう。カウンセリングサービスを始めた理由に、他社にはない差別化要素があったんだけど、顧客のニーズがサービスに追い付いていないという実感を得て、『まだ自分の会社は規模拡大する時期に達していない』と考えた。では、どうやったらスタートアップの規模を拡大することができるのか?、勉強したくなった」

― そしてWhartonはじめいくつかのビジネススクールに出願。

「キャリアが珍しかったので、過去の話をするのは少し大変だったけど、何を学びたいか明確だったので、出願プロセスはそこまで苦労しなかった。志望校に関しては、WhartonかStanfordに行きたかった。」

― 起業を志している人がStanfordを志望するのは一般的だけど、Whartonを志望していた理由は?

「Whartonのブランド力は中国でも非常に強いので、起業した際に顧客に信用してもらえる。そして、Whartonは起業家教育に力を入れている。受験時に在校生に話を聞いたところ、スタートアップを志す人が利用できるリソースが多くあることが分かった。また、会計やファイナンスをはじめとした授業のクオリティの高さも志望理由のひとつ。会計やファイナンスの専門家になるつもりはないが、経営に必要なツールなので学習したいと思っている。こういった要素を総合的に鑑みると、Whartonは非常にいい選択だった」

― スタートアップを志す人向けのリソースというのはどのようなもの?

「まず、スタートアップが利用できるLabがある。そして非常に活発なEntrepreneurship Club。起業アイディアを同級生と議論し発展させることが出来る。また、教授が非常に協力的。Wharton発の眼鏡会社、Warby Parkerの創業者はPricing StrategyやMarketingについて教授に指導を仰いだ結果、起業アイディアが先鋭化され、今の成功に至っている。他にも、Semester in San Franciscoも大きなアドバンテージ。西海岸で人脈を構築することが出来る」

Whartonでの生活

― 有難う。晴れてWhartonでのMBA生活が始まって9か月経つけど、ここまでどういう感想?

「Whartonで気に入っているのは、多くの選択の機会に恵まれていること。仲良くなる人、ランチタイムに開催されるセッション、授業、Club等、大きな学校なので多様な選択肢がある」

― 何か苦しんだことはある?

「グループワークが多いので、当初苦しんだ。振り返ると学習も会社経営もチームで協力するスタイルではなく、自分の力で切り開くスタイルだったので、グループワークをしないといけないというのはどうも慣れなかった。過去ファイナンス、会計、統計等の必修クラスで学ぶ知識を全く学んだことがなかったというのも一因」

― 課外活動はどういうものに参加した?

「Dance Studio(学生がダンスを大勢の人の前で披露するクラブ)に参加したんだけど、COVID-19の影響で公演が中止になってしまい、残念だった。その他は多くの文化系クラブに参加した。Asian American Association、Greater China Club、Wharton African Student Association, Southeastern Asia Clubなど。これらのクラブを運営している学生たちは自分たちの文化を伝えることに非常に熱心なので、イベントに参加するのがとても楽しい。Whartonコミュニティはとても多様性に満ちている。」

9月のパーティーで同級生と(左から3人目がRita)

― 充実した学生生活を送っていたように思えるけど、春学期は休学したんだよね。

「そう。沢山の選択肢があったことは素晴らしかったんだけど、一つひとつの機会の意味を理解してどれを選ぶのか決めるのが難しかった。”FOMO (“Fear Of Missing Out”の略語で、周囲の多くの人たちがしていることや参加している機会を、自分だけが逃してしてしまうことへの恐怖を指す)”っていうけど、『機会を逃したくない』という気持ちに突き動かされて飛び込むことはあれど、果たして自分が本当にそれをしたいのか判断がつかない状態が続いた。一度時間をしっかり取って周りに左右されない自分の軸を作りたかった。MBAに来る人には自分が大切にしている価値観をしっかり理解してから来ることをお勧めしたい。キャリアについて明確に決まっている必要はないが、時間の過ごし方や好き嫌い等、自分の価値観の軸を持っていた方がいい。

私が体験した例で言えば、グループワークをしていて周りのメンバーが私よりも遥かにエクセルスキルに優れていた。私は当時とても焦ってエクセルすらできない自分を責めたが、ひと呼吸おいて考えたら『そもそも私はエクセルを学ぶためにWhartonに来たわけではない。また、自分がエクセルができなくても会社の経営はできる』と気付いた。優秀な人が沢山いるだけに、ストレスを感じる可能性はあるが、自分の価値観が定まっていれば大丈夫」

Gap Semesterでの発見・Wharton卒業後のプラン

― 休学中は何をしていたの?そして、価値観は定まった?

「親友とハワイに行ってサーフィンをした。夜は彼女と語り合った。自然に身を委ねて豊かな気持ちになった。その後、カリフォルニア州ヨセミテ国立公園でハイキングをした。もっと旅行する予定だったけど、新型コロナウイルス感染拡大を受けて途中で切り上げ実家に戻った。実家では草花を育てた。そうしているうちに自分の価値観が定まってきた。それは、やはり自分は教育と啓蒙に興味がある、というものだ。それも、受け手が自らの価値観を定め、自己認識を向上するような教育・啓蒙。中国におけるプレッシャーの高い教育環境で自己認識が不足していることから自分を見失う学生が多いが、自己認識を高めることで心理的独立を獲得し、自己実現できると思っている」

ヨセミテにて

― 価値観が定まったのは素晴らしいことだね。休学から復帰する今年の9月からはどのような活動に集中していきたい?

「授業では、ファイナンスや会計に加えてPricing Strategy、Marketingを中心に取りたい。また、これまでは自分の若さや皆と異なるバックグラウンドに対する負い目、自分の考えや経験をあまりシェアしなかった。でも、今は自分の考えや経験を自信を持ってシェア出来るし、それに価値を見出してくれる同級生がいると思っている。だから、Storytellersや各クラブが開催するSmall Group Dinnersに参加したい」

― 卒業後のプランは?

「具体的にどのようなビジネスを立ち上げるかはまだ構想中。多くの人に心理的にポジティブな影響を与えられるインフルエンサーになれれば、と今は考えている。中国でライフスタイルを紹介するブログやWeChatチャンネル、そして起業家にインタビューするPodcastを現在運営中で、まずはこれらを足掛かりにする。キーワードは自己認識と自己成長。まだ中国では小さな市場だが、伸ばすことができると思う」

― 素晴らしい計画だね。応援しています!今日は時間を取ってくれてありがとう!

草木からもエネルギーをもらった

Whartonというと、ファイナンススクールというイメージを持つ方が多いと思いますが、最近は起業にも力を入れており、Ritaが言う通り豊富なリソースを有しております。起業というとStanfordをはじめとする西海岸の学校のイメージが強いと思いますが、起業に興味がありMBAをご検討の方は是非Whartonも選択肢に入れていただけますと嬉しく思います。

また、今回は学生生活の生々しい話が聞けました。機会が豊富にあるからこそ自分を見失う恐れがある、というのは言いえて妙だと思います。MBA受験を控えている皆様は出願プロセスを通じて自らの価値観を問うてみてはいかがでしょうか。お手伝いができるのであれば可能な限り力を尽くしますので、ご相談いただければと存じます

(終)