MBAの効用とは?プログラムの3/4を終えた凡庸な一個人の感想

こんにちは。Class of 2021の者です。2年生の秋学期が先週終わり、MBA生活も残すところ4分の1となりました。今の時点で「MBA留学をして何が一番良かったか?」と聞かれたら、私は「人生について深く考える時間をしっかりと持てたこと」と答えています。

高額な学費を掛けてそんなことか、と思われる方が大勢いらっしゃるでしょうし、私自身今までこの部分について明確に言語化していなかったので、なぜこのように考えるに至ったのか書き起こしてみようと思います。

MBA出願においても人生について考えるが、文脈が限定的である

“Why MBA?” ”Why this school?” “Tell me about your accomplishments.” “What is your long-term goal?”

こういった質問はMBA出願プロセスで必ず回答を準備しておかないといけない質問でしょう。HBSやStanfordの質問は少し趣が異なりますが、回答に際しては上記の内容に触れる場合が多いと思います。

“Why MBA?” “Tell me about your accomplishment” といった質問への回答準備として、多くの方は今までの人生を棚卸して、アプリケーションに「使えそうな」ネタを探す作業を行うと思います。私自身、そのようなステップを踏みました。今まで深く考えたことのない過去の経験がMBAのアプリケーションに「使える」ネタになるということ、そしてそのストーリーに今まで気付かなかった自分自身の強みを見出すことができたこと。この2つの観点で、非常に意味のあるものだったと思います。

しかし、いざ”Why this school?” “What is your long-term goal?” といった質問になると、どうしても出願校のプログラムや特色に「合わせにいく」感覚がありませんか?少なくとも私はそうでした。各学校のWebsite閲覧、Info Sessionへの参加、在校生や卒業生との会話といった地道な情報収集プロセスを通して各学校の特色を理解し、フィットを確認。100%フィットがあると納得していないとしても有名校であれば出願しないのは勿体ないのでエッセイの内容をうまく合わせにいって出願。私は、このようにしていました。自分のアスピレーションを深堀していくというよりは、「米国MBAトップ校が金融バックグラウンドの日本人に何を求めているのか」を考えてエッセイを書いた要素が大きいです。

短期的な目標である合格を勝ち取るためには、合理的な方法だったと考えています。一方で、確たる将来の展望を描けていない歯痒さのようなものは感じていました。

Vulnerabilityを見せること、受け入れることが学校レベルで推奨されている

無事に合格を勝ち取り2019年8月にWharton Schoolに入学したのですが、入学直後のPre-Termの経験で”Vulnerability”という言葉が何度も何度も登場したことが意外且つ印象的でした。Vulnerabilityは日本語にすれば「弱み」と言えます。リーダーシップ教育で有名なWhartonで「弱みを見せること」「他人の弱みを受け入れること」が推奨されていたことは、新鮮な驚きでした。

ビジネススクールに入学した直後というのは同級生と知り合う機会に恵まれています。多くの学生がネットワーキングに集中する時期であり、知らない人とも積極的に話そうとする雰囲気がキャンパス中に溢れます。

一方で、バックグラウンドの違う人々が集う場で共通の話題と言えば「入学前はどこで何の仕事をしていたのか?」「受験プロセスはどうだったか?」「卒業後どういう業界で働きたいか?」といった内容に凝縮されます。雑談もするのですが、留学生であれば出身地を言ったところで「日本行ってみたいよ!」「一度行ったけど素晴らしい国だったな。ご飯は美味しいし人は優しいし電車は正確だし。旅行では東京と京都と奈良を1週間で巡ったよ。また行きたいな」「フィラデルフィアで美味しい寿司屋はどこ?」等の質問をもらえればいい方で(それでもそこまで会話が長続きする保証はない)、さして関心を示してもらえない場合もあります。

そうやって同じような会話を繰り返していくことに疲れ、名前を覚えられないストレスを感じ、パーティー続きで体力を奪われ・・・といった日々が当初続いていきます。

そんな日々を過ごす中、入学から3週間程経った時に実施されたSmall Group Dinnerが印象的でした。10人程の同級生がアパートに集まり、2年生が1人ファシリテーターをするという形式だったのですが、ありきたりな自己紹介ではなく、より個人の深い部分を理解できるような質問が用意されていました。例えば「辛かった経験とそこからどう立ち直ったか」といったお題で1人ひとりが語ったのですが、辛い経験を思い出して泣き出す学生がいました。経歴だけ見ればHarvard学部卒・Wharton MBAでエリート街道を突き進む彼女が見せた涙は、とても印象的でした。あまりに深い話で掛ける言葉が見つからないほどだったのですが、「Vulnerableになる、とはこういうことか」と納得がいったのと同時に、「Vulnerabilityを受け入れられる人間になるにはどうすればいいのか」という課題が浮かんだ夜でもありました。

自分の過去・現在・未来を話す機会に多くの学生が参加する

Small Group Dinnerは学生全員が通る道ですが、必ずしも泣くような話をする必要はなく、ファシリテーターの力量にもよるので皆が皆特別な時間を過ごすとも限りません。雑談で終わる場合もあるとは聞いています。それでも、このような体験をした人もしなかった人も「Vulnerableになること」というキーワードを時々口にしますし、実行もします。

例えば、Storytellers。クラブの一つですが、1ヶ月に1度開催される集まりでは自ら手を挙げた学生がその日のテーマに沿った話をして、皆がそれを聞きます。Small Group Dinnerでの彼女の話のように、壮絶な人生の話、家族の話等が多く含まれます。でも、それを彼ら・彼女らは話すのです。そして聴衆である学生は真に共感しエールを送るのです。

他にも、P3というプログラムがあります。6人1グループで6週間連続で3時間の集まりを持ち、「文化や家族が自分に与えた影響」「自らが幸せと感じること」「人生で成し遂げたいこと」等を話します。全員に課題図書が与えられ、その本に基づいて例えば「『貧乏だが家族に囲まれた石切工』と『キャリアで多くを達成しているが家族と会う時間がほとんどないテニスプレーヤー』のどちらが幸せだと思うか、そしてなぜ自分はそう考えるのか?」といった内容の議論をします。

また、お遊びの旅行中にもこういった会話が登場することがあります。キャンパスから遠く離れた場所で、リラックスして、お互いの人生について語る。ただし、決して深い話を強制はしない。こういった場が多く用意されているのがWhartonの特徴だと思います(他の学校もそうなのかもしれませんが)。

コンテクストを共有する一方で多様性に溢れた人々と話すことに意味がある

では、なぜそれが自分にとって意味のある体験だったのか考えてみたいと思います。冒頭で述べた通り、MBA留学にあたって一通り考えた内容の筈です。そこから短期間で大きく自分という人間が変わる訳ではありません。

でも、やはり出願プロセスにおいて使ったのはあくまで「使える」ストーリーであり「合わせにいっている」夢だったと思います。本当は根源的に自分が喜びを感じることややりたいことがあっても、それを抑えたり気付かなかったりしていることって、案外あるんじゃないかなと思います。それを考えること、他人の話を聞いて相対化することに意味を感じました。

また、全く関係のない他人と話している訳ではなく、Whartonという学校に同じタイミングで在籍している同年代の友人と、同じ本を読んだり似たような経験をした上で比較するアウトプットというのは、自分の過去・現在・未来を考える上でのベンチマークとしてちょうどいいと思います。

あくまでWhartonがSafe Spaceであることの効果も大きいです。Vulnerableな話については、厳にその場限りにするというルールがあります。同じ話を職場でしたら「ヤバい奴いるな」とレッテルを貼られて噂になったり、昔からの友人に話しても「なんかアツく語っているな」と思われたり、そういったリスクが少なからずあると思うんです。でも、Whartonはそうではない。夢を応援する場であり、Vulnerabilityを受け入れる場であるのです。そういった場所で、同級生と大いに語り自分の人生について考えたことは、本当に大きかったと考えています。

ある夜、仲のいい友人と私の自宅で2人で飲みながら将来について話していました。私がある拍子に「今マネジメントになったとしたら、やっぱり厳しいかな・・・」といったことを話したときに彼はこう言いました。「君のような人間ができなかったら誰ができるんだ?誰もが入れる訳ではない学校に選ばれて入学しているんだから、君ができないって言ったらダメだ。僕はそういう気持ちで将来を考えている」と。非常に青臭い話、且つエリート意識にまみれた醜い考え方と思う方がいらっしゃるかもしれません。でも、「自分には出来る」というマインドセット、そして困難を受け入れる心構えを彼は与えてくれました。

このような体験が多くあり、その積み重ねで自分の考え方が変わっていったことは事実です。

さいごに

ここまで、一個人の意見として 「人生について深く考える時間をしっかりと持てたこと」 について言語化してみました。冒頭で触れた通り、「それだけでは学費が正当化されない」と思われる方もいるかもしれません。でも大丈夫です。私にとって、「人生について深く考える時間をしっかりと持てたこと」が現状MBAに行って最も良かったことだと思う一方で、授業での学び・教授との会話による気付き・リクルーティングのリソースの充実・課外活動でのチャレンジ等は言うまでもなく素晴らしいものです。ただ、入学時点では微塵も考えなかった「人生について深く考えること」という青臭い内容の効用が、思った以上に大きく今後の人生に影響しそうだと感じています。

卒業後、語り合った同級生と頻繁に会うことはなくなると思います。家庭や仕事に忙しくなる中で、どれだけ彼ら・彼女らとじっくり時間を過ごせるかは分かりません。そもそも無理かもしれません。

でも、Small Group Dinnerでの彼女の涙を(そしてそれを受け入れることのできなかった自分を)、Storytellersで衝撃を受けたあの話を、旅行先で語り合ったあの夜を、友人が私に喝を入れたあの瞬間を、今後も思い出して自分の糧にしていくという確信を、強く持っています。

おわり